マイケル・モリアーティ in マイ・フェア・レディ

 
以前に「ベン・ストーンとの最後の日々」で書いたとおり、1994年、Law & Order のストーン検事役を去ったマイケル・モリアーティは、ブロードウェイで『マイ・フェア・レディ』のヘンリー・ヒギンズ教授として舞台に立ちます。遅れてきたファンとしては本当に観たかったけれど、こればかりはどうしたって叶わないので、オードリーの映画の感想と、当時の彼の日記The Gift of Stern Angels、ネットにあるレビューを読んだ感想をもとに書いてみようと思います。BGMは「踊り明かそう」あるいはそよさんおすすめのフレディが歌う「君の住む街角」。

まず映画。ヒギンズ教授といえばレックス・ハリスンですが、彼のヒギンズは正直いって嫌なやつです。イライザを実験動物のように扱う。女性一般に不信感を持ち、それを当たり前、自由な生き方、普通の男と思っている。

そして他人の気持ちが分からない。母親に、あなたが社交場に来ると他の人に恥ずかしい、と言われるくらい。耳がやたらと鋭いところといい、「正しい言語」への執着といい、ちょっとアスペルガー症候群的な人物です。自分の感情もどう処理していいかわからず、恋がうまくいかないとその対象に攻撃的になったりする。素直じゃない(笑) 昔は(今も?)こういうキャラクターは男性に限り「しょうがない人ね」「不器用で可愛いわ」って微笑ましく許されてたと思います。イライザも結局そこにほだされちゃうわけです。


では、モリアーティのヒギンズ解釈はどうだったでしょうか。
1994年3月-4月、マイ・フェア・レディの準備をしていた頃の彼のスケジュールは、Law & Order の撮影の最後のほうと重なっていました。Stern Angels での彼は、犯罪にいろどられた陰鬱なベン・ストーンの世界から、明るく華やかなミュージカルの世界へと脱出する夢を描いています。それが役作りに直接影響したかどうかはわかりませんが、彼はこんな風に役を作ろうとしていたようです。

 
(p. 95)  このところ、ヘンリー・ヒギンズの恋、彼の情熱が募っていくさまを思い描き、演技を組み立ててきた。彼は自分の創造物(イライザ)をどんどん深く愛するようになる。最初の出会いで、彼は深い穴に落ちる。そのあと火花の散る瞬間がいくつかあって、彼の想いはひたすら強まっていく。 
 

原作の戯曲(読んでないけど)やレックス・ハリスン版とはずいぶん違う気がします(映画のヒギンズ像が古臭いのは、原作をひきずっているのもあると思う)。こちらのヒギンズには瑞々しい感情があり、それが素直に表われ出てきそうで、ずっと共感しやすい人物像です。

これは私にはすごく納得がいきます。というのも、パターンが"The Glass Menagerie" (ガラスの動物園)をみて抱いた感想と同じだから。つまり、ジム・オコナーは一般的に、冷淡ないし利己的な人物のように解釈されていた。しかしモリアーティはジムにもっと血の通った解釈を与え、短い時間でローラと恋に落ちて、繊細ではかない愛情を表現してみせた。

彼は、マイ・フェア・レディにおいても、既存のヒギンズとはまったく違う、ひとの感情に敏感、繊細な自分自身を表出したかったんだと思います。ベン・ストーン時代は、強い感情を抱きながらもそれを自由に表へ出す機会がなかった。当たり役に縛られてしまった状態で、それはもちろん成功の証なんだけれど、表現者としては前に進めないと感じていたみたいです。

ただそれもベン・ストーンと別れてからの感想のようで、「振り返ってみて気がつく」という言い方をしている。例によって、ストーンを演じている間は深く入れ込んで、自分自身と区別がつかないような状態になってたんじゃないかと思います。Law & Orderの世界から引きはがされて初めて、ストーンが自分に及ぼした影響の大きさを自覚したのでしょう。

4月の日記では「踊り明かそう」に加えて「素敵じゃない?」「忘れられない君の顔」の三曲を、オーケストラピットで聴いて涙を流したと言っている。


さて、レビューの方は、1994年のブロードウェイのプロダクションではなく、1996年11月、ロングアイランドでの演劇フェスティバルの際に上演された、もっと小規模な公演らしいです。マイケル・モリアーティ非公式・非公認・非認可HPというファンサイトがありまして、そこにレビューが3つ投稿されています。それを読んだ限りでは、彼の表現したかったことは観客に十分伝わったようです。

投稿者のひとりは"loose"という形容をしています。力が抜けた自由な動き、という感じです。長い手足をいかして舞台の上を動き回る。いつも顎をぐっと引いて喋るストーンの正反対を思えばいいでしょう。そしてよく笑い、また、イライザが去ったときには観客の前で臆せず涙を流す。謹厳実直なオリジナルのヒギンズを生まれ変わらせ、新しい人物像を作るのを愉しんでいる様子が伝わってきます。

レビューを読むと、本当に観たかった〜とそればかり思います。リアルタイムだったら絶対ニューヨークまで行ったと思います。だれかタイムマシン作ってくれないかな、20年くらいの近距離用一人乗りで。彼があの童顔と青い目に少年のような笑いをうかべ、長い手足とあの声で歌い踊るところ、どうしても目の前で観たい(涙)

またそれ以上に、1994年の公演がすぐに打ち切りになってしまったのは残念なことでした。もしこれが成功して数カ月でも続いたら、その後の彼の人生も違ったのになったのでは、という気がします。そんなことを考えても意味はないんですけどね。

この舞台でのモリアーティのルックスについて。もちろんストーンとは全然違うはずです。私は『悪魔の赤ちゃん3』のスティーブン・ジャービスをイメージしてます。靴屋じゃなく、船の上で日焼けした健康な顔色で歌うところ。

彼は日記でMFLの衣装合わせについても少し書いていて、「ヘアピースをつけると若く見えすぎるので、年齢相応に見せるため老眼鏡を使うことにした」といってます。多分ベン・ストーンと同じような眼鏡なんでしょう。だから「スティーブン・ジャービスにベン・ストーン眼鏡」の組み合わせで想像することにします。ストーンの眼鏡も、案外同じ効果のために使っていたのかもしれません。

歌声の方は彼のアルバムReaching Outにミュージカルぽいナンバーが2曲入っているのでそれを参考に。"Freddy Heavens" と "Big Town Boy" という曲です。(前者は検索すると見つかるかも?)