『ホロコースト』 再放送

昨年の10月ごろ、マイケル・モリアーティ氏の定期投稿に「この記事はこれから1か月お休みします」とアナウンスがありました。「ヨーロッパへ行って『ホロコースト 戦争と家族』関係のドキュメンタリー制作に協力する」とのこと。

 

協力先としてアリス・アグネスキルヒナーという監督の名前が出ていたのでちょっと調べてみました。ベルリン在住の女性監督です。作品の中に『ベルリンのアパートメント』というドキュメンタリーがあり、それもユダヤ人迫害の歴史を今によみがえらせる内容だったようです。

 

そして今週、ドイツの有力紙フランクフルター・アルゲマイネのサイトに関連記事が出ました。以下、その内容を紹介します。ただしドイツ語から自動翻訳した英語で読んでいるので、解釈が正確でないかもしれない点はお断りしておきます。

 

それによりますと、ドイツの複数のテレビ局が1月7日から『ホロコースト』の各エピソードを順次放送の予定。初放送から40周年、開戦から80周年の節目での放送かと思われます。 

 

1979年のドイツ初放送時には、各エピソードを歴史学者が解説する形のフォローアップ番組があったそうです(このあたりについては視聴率と反響、およびデア・シュピーゲルの記事についての項目を参照)。今回も同じように、新しく制作された番組をフォローアップとして放映する。それがアグネスキルヒナー監督の制作によるドキュメンタリーだとのことです。

 

タイトルは”ホロコーストはいかにしてテレビ番組となったか”。内容は、アグネスキルヒナー監督が当時一大センセーションとなったこの作品の歴史を語り、また、その歴史の証人として出演者にインタビューするそうです。参加者はローズマリー・ハリス(ベルタ・ワイス役)、ブランチ・ベイカー(アナ・ワイス役)、それにマイケル・モリアーティ(エリック・ドルフ役)。

 

出演者たちは、やはりこの重い作品が自身にに及ぼした影響について語っているようです。

マイケル・モリアーティはエリック・ドルフ役を演じる重圧に耐えるため、精神科医にかからなければならなかったという。(中略)「役を演じるためには心を開かなければならない。そこに残酷なものが見つかったら、それは永遠に魂の中に残る」とモリアーティは言う。杖をつき、オーストリアのマウトハウゼン収容所跡に足を踏み入れながら。この収容所ではガス室の場面も撮影された。

 

マウトハウゼンでの撮影のことは、モリアーティの自伝にも小説にも強烈な体験として出てきます。ガス室や焼却炉が残っていて、他の映画などの撮影も行われた場所だそうです。『ホロコースト』ではアウシュビッツの場面として使われています(当時のポーランドでは「親ユダヤ的」な作品に対して撮影許可が下りなかったのだとか)。

 

作品の歴史もたいへん興味深いです。この作品が当時、ユダヤ人の側からもドイツ人の側からも 「ソープオペラ」だという酷評を受けたことは有名です。アルゲマイネ紙のニューヨーク特派員だったサビーナ・リーツマンというジャーナリストや、ホロコースト生還者の作家エリ・ヴィーゼルの言葉が引用されているようです。

 

それでもリーツマンは数か月後に「ソープオペラに変わりはないが、多くのアメリカ人がこの作品を通じてホロコーストを知ったのは事実」と再評価したということです。

 

このドキュメンタリーが放映されるのは14日。いつかは日本ででも見たいと思っています。

 

フランクフルター・アルゲマイネ紙の元記事「ホロコースト再放送:その衝撃」はこちら

www.faz.net

 

 

引っ越しました&カテゴリ追加しました

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また、この機会にカテゴリも少し改良しています。

 

変更点としては、新しく「舞台」カテゴリを追加し、映像や著作カテゴリに混じっていた記事をまとめました。朗読作品もこちらです。また「映像」カテゴリの記事が多くなりすぎていたので、「映画」と「TV」に分けました。

 

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分類しない

ベン・ストーン死す(公式に)

去年の夏(アメリカでの番組更改時期)、ディック・ウルフのシカゴ・シリーズのひとつである『シカゴ・ジャスティス』がシーズン1で打ち切りの噂が流れ、そのメインキャラのASAピーター・ストーン(フィリップ・ウィンチェスター)がL&O SVUにシーズン19後半から移籍というニュースが出始めました。

この時点で、ピーターが実はニューヨークのADAだったベン・ストーンの息子であることは『シカゴ・ジャスティス』の中で明らかになっていた(らしい)。

そしてSVUのエピソード19-13放送直前の今年2月3日に、その詳細をスニークピークする記事が出ました。ウィンチェスター氏自身へのインタビューです。”ピーターは父が危篤との知らせでニューヨークに来て、滞在中に父は亡くなった。その後マッコイにこっちで仕事しないかと誘われるという展開”とのこと。

https://cartermatt.com/289700/law-order-svu-season-19-philip-winchester-peter-stone-arrival/

最初にその記事を見たときはやはりショックでしたが、考えてみれば辞めてから25年もたって名前を出してもらえるなんて、キャラクターとしては超特別扱いです。やはりベン・ストーンは初代検事としてリスペクトされている、と感じました。

SVUのエピソードを実際に見るとさらにその感は深まります。冒頭、教会でのお葬式で、マッコイが弔辞を述べています。自分が新任検事だったときのエピソード。

私が検事になりたての頃、初めての担当事件で、被告弁護人が私に送る書類に、間違えて有罪の証拠を添付してきてしまった。それを見てどうしていいかわからず、当時みなやっていたようにストーン氏に相談に行きました(ここで遺影が映る)。「見なかったふりもできますが…」と言いかけるとベンはそれをさえぎり「できることではなく、なすべきことをするのが人間の務めだ。結果がどうあろうと。徳のある人間ならそうすべきなのだ」

ベンを失った世界は悲しい場所となった。崇高な魂が消えてしまった。さよなら、ベン・ストーン。

マッコイの弔辞が終わったあと、神父が「ほかにお話をなさりたい方は…」と訊いています。それでマッコイが(息子なら当然ひとことあるだろう)とピーターの顔を見ているが、ピーターは動かない。

ここで、マッコイとピーター・ストーンは少なくとも面識があることと、ピーターと父の関係がよくなかったことが提示されています。また、「できることではなく、なすべきこと」というあたりでバーバの顔が映ります。これがエピソード本筋の伏線ですね。


さて突っ込み編。
1 マッコイ新人当時はストーンが頼りになる先輩だったらしい…ほんとうか?堅苦しい正義感の人物で先輩としてもつきあうの難しそうだけど。補佐も長続きしなかったし。いやま、お葬式でそんなことは言わないだろうけど(笑)

2 「重要な書類を間違えて相手方に送ってしまう」ミスは、L&O世界ではよく起こるらしい。私が覚えている最初のケースは、プライム4−3「不協和音」(ロックスターがグルーピーをレイプした話)。クレア・キンケイドが証人の扱いでミスをする。

裁判後、クビを覚悟したキンケイドがデスクを片付けていると、鬼上司のストーンがやってきて、なぜかおずおずと切り出します。「むかしある新人が、内部メモを間違えて書類に添付したまま被告側弁護人に送ってしまった…」 三人称で話しだしたのに最後は "They gave me a chance" やり直すチャンスをもらった、と自分のことになっているのがオチでした。


お葬式場面の後、マッコイとピーターが裁判所のロビーで会う場面もありますが、それはまたのちほど。

ピーター・ストーンのキャラクターは、『シカゴ・ジャスティス』の前振りとして『シカゴP.D.』にも出演。ピーターがベン・ストーンの息子であることは上記の通りシカゴ時代から明かされていた。でもSVUしか見ていないファンにとってはきっと何のこっちゃらで、それを機にシカゴ・シリーズ(『PD』と『ファイア』は日本でも放送中)を見てもらおうという計算も感じます。ピーターの来歴についてもまた別途…

『ホロコースト』 ディスク4 ベルリン 1943年

 

エリック・ドルフのスライドフィルム上映会、以前はハイドリヒに対して行っていましたが、今回はアウシュビッツの写真をカルテンブルンナーに見せています。移送列車の到着から選別、特殊処理、焼却炉。カルテンブルンナーは特段の印象を受けた様子もなく、金品の着服だけを気にし、マイダネクでは国家財産窃盗の罪で数人を軍法会議にかけた、とコメントします。ドルフは「ヘースはごく厳しいですから」と答える。

カルテンブルンナーは「真面目にやっているな」といちおう褒めますが、ドルフがベルリン勤務に戻してほしいと願い出ると一蹴します。お前は政策決定者のタイプじゃない、現場向きだ。ひきつづきポーランドで業務を遂行しろ。

ドルフはミーアキャット顔のまま、妻が病弱なうえ、ベルリンは爆撃や食糧不足もあり心配なのです、と訴えますが、スターリングラードの苦境をよそにカミさんの心配か、とかえって相手を怒らせるだけ。

家に帰ると、さらに辛い状況が待っています。マルタがどこからか彼の仕事の書類を見つけ、「死体の掘り起し」や「焼却作業」について読んでしまったのです*1。しかし様子が変です。真実を知ったマルタは衝撃を受けて夫を憎むかと思いきや、あなたはそんな風に自分の仕事を恥じているからカルテンブルンナーに軽く見られるのよ。言われた仕事は最後までやり遂げなさい!と逆に叱咤するのです。

いままでマルタの様子を見てきた視聴者の側にはあまり驚きでないのですが、エリックにはこれが一番の打撃だったらしい。

[ドルフ]       マルタ、ぼくの優しいマルタ。思い違いだったのか、きみが怒るだろうと信じていたのは。ぼくは女子供を殺す仕事を監督していたんだよ。そんな自分に、どうやって誇りを持てというんだい?

エリックにとって最後の砦だったマルタの反応は、彼にとって二重の失望だったでしょう。彼の一番の望みは、「自分は国のために尽くした立派な人間である」と妻子が信じてくれることでした。そして、彼の仕事がまったく立派でないことが明らかになった今、そんな仕事をしなければならない苦しさを分かってくれるのもマルタ以外にはいないはずでした。でも実はマルタもカルテンブルンナーと同じだった。職場にも家庭にも逃げ道はないのです。

彼はヒステリックに笑いだし、こう言います。

[ドルフ]       きみのことを笑ってるんじゃない、自分の愚かさに驚いているんだ。その通り、ぼくに選択肢はない。いま以上に熱心に働くしかないんだ。

ここのあきらめの表情は、見ていて泣きたくなるくらい哀れを誘います。しかしエリックは決心がついたのか、強気な言葉とうらはらに「私たちみんな罰せられるわ」と怯えているマルタを慰めるだけの余裕を見せます。

[ドルフ]       そんなことはないさ。きみは何も間違ったことをしていないし、ぼくは良き兵士だった。

マルタは恐ろしい仕事の証拠について「誰にも知られないように、全部燃やしてしまわなければ」と言い、手にしていた書類を焼き捨てます。その背後でエリックは違うことを考えているらしい。

二人の反応は、当時のドイツ官僚の典型的な態度、「否認・隠蔽」と「正当化・合理化」をそれぞれ表しているようです。マルタは正当化から否認へ、エリックは逆に、当初の隠蔽から合理化へと揺れ動いています。エリックの考えの詳細はもっと後、終戦も間近のディスク5になって明らかになります。
 
 

*1:1943年当時は、たしかに各地でこういう作業が進行中だった

『謀議』のベン・ダニエルズ

 
Law & Order:UK の放送がお休み中なせいで、ベン・ダニエルズの顔が見たくなるとこの映画をかけています。私のは米国版"Conspiracy" ノーリージョンのDVDです。『謀議』の邦題で日本版DVDもあり。

『ホロコースト』のヴァンゼー会議の場面をレビューするときに入手した2001年のテレビ映画です。会議の出席者は15人、みな各省庁の次官級ですから中年の男性ばかり──要するにおっさん達です。キャストも、イギリス人の演技派揃いですが年齢層はそれに見合っていて(笑) 最初に見た当時、コリン・ファース(ヴィルヘルム・シュトゥッカート役)以外は見分けがつきませんでした。仕方ないので、役名にくわえて「党服」「親衛隊」「紺スーツ」など衣装を書いた登場人物一覧表を作ったくらいです。

そのむさ苦しい中で、比較的若く、長身、金髪に端正な容貌が目立つ人がおりまして。ただセリフは多くなく、会議テーブルでは端の方に座っている。その時は知りませんでしたが、この「すみっこに座ってるハンサムな人」がベン・ダニエルズだったのです。

ダニエルズの役はヨゼフ・ビューラー、ポーランド総督府の次官です。『ホロコースト』でエリック・ドルフが会いに行った総督ハンス・フランクの右腕。ともかく総督領のゲットーが満杯だから早くなんとかしてくれって、最初から最後までそれしか言わない。*1

ボスであるフランクとヒムラー/ハイドリヒの仲が悪いですから、ビューラーはいわば敵地にやってきています。でもボスからは成果を上げてこいときつく言われてるし・・・と板ばさみの様子を表現してます。それに加え、想像を絶するゲットーの過密状態、切迫した様子も伝わってきます。

だけどそういう事情はセリフで説明されるわけではない。以前に、L&O UKのジェイムズ・スティール役について「なんか言いたいけど言えないので我慢してる」印象と書きましたが、それと通じるものがあります。冷静な官吏の顔を保ちながら、内側には強い危機感を持っているのがわかる。同時にSSに対する子供っぽい意地も見え隠れします。

ではダニエルズに注目の場面をいくつか。

冒頭、ビューラーは総督府のSD司令官と同じ車で会場へやってくる。この親衛隊大佐とは同じ地域を担当しつつも所属が違うから、表面上は親しげにしながら「SSは何を考えてるのか」と警戒しています。こういう、異なる組織の思惑や腹の探り合いも、この作品の面白味であります。

おなじ大佐に対して「ゲットーでコレラチフスが流行したら、親衛隊の刺青は役に立たない、きさまもノンストップ下痢で干からびて死ね*2」とたんかを切る場面もあります。あのルックスで、ジェイムズ・スティールは使わないであろうお下品な言葉を使うところがなかなか萌えです。そして「言ってやったぜ」と得意げに微笑む顔が可愛かったりします。

しかしその得意は長続きしません。会議の後半では、自分たちの裏庭(帝国領のヘウムノと、総督領のベウジェッツ)でSSがひそかに絶滅収容所を建設しているのを知らされて激怒します。

この辺はスティールにも似た、抑えた暗い怒り方です。ガストラックやガス室で効率よく処理してくれる分には異論ないのだが、問題は「ひそかに」というところなのですね。SSのやつら、勝手にいろいろ進めておきながら、仰々しく会議を招集して「意見を聞きたい」だと?結局は自分らの思い通りにするだけじゃないか。コケにしやがって、と怒りながら、彼らの実行力には頼るしかないためにやっぱり表立って敵対できないのです。

これは、この映画全体のテーマであるともいえます。最終的解決はこの時点でもう決定ずみであり、ハイドリヒがヴァンゼー会議を招集したのは、この件に関して自分が全権を与えられたことを各方面に認めさせるためであった───という歴史解釈ですね。宣伝では「この会議ですべてが決定された」みたいに言ってますし、そういう解釈も一部ではあると思いますが、作品そのものが取っているスタンスはちょっと違うのです。

そんなわけで、ビューラーを含む東部組はハイドリヒにあんまりまともに相手されません・・・・・ 会議が散会した後も「移送はまず総督領から」としつこく粘って交渉しますが、軽くかわされてしまいます。この場面でも、あの「我慢してる」感じがよく出てます。

ビューラーはともかく、ダニエルズはいったい何を我慢しているのでしょうね?怒りですか、悲しみですか?前にも書きましたが、意外と笑いをこらえているんじゃないかという気がします。マイケル・モリアーティの場合、笑いをこらえているのは危ない兆候だけど、ベン・ダニエルズはそれが魅力なのでした。

*1:実物の議事録にそのように記録されているらしい

*2:親衛隊員は戦場で優先して輸血を受けられるよう、血液型を脇の下に刺青していた。また実物のビューラーはチフスについて一家言あったらしい(トンデモ科学の域であるが)

『ホロコースト』 ディスク4 テレジエンシュタット

 
前の場面の続きです。長官室にエルンスト・カルテンブルンナーが入ってくる。ハイドリヒの死後、RSHA長官のポストを継いだのです。暗殺前のハイドリヒが「そこら辺のちんぴらと変わらん」と言っていた通りの粗野な人物であり、そのことを隠そうともしていません。ドルフに向かっていきなり、「私はハイドリヒとは違う人間だ、あの優雅な混血野郎とは」とかまします。

いまだに前長官への忠誠を振り切れないドルフが抗議するも、かえって矛先が自分に向いてしまう。ドルフは「私はラインハルト作戦で着実に成果を」と主張しますが、ハイドリヒ時代の傲慢なふるまいが災いして、策士・密告者との評判は新しいボスの耳にも入っているらしい。

さてカルテンブルンナーの用件は、収容所の実態を描いた絵がプラハで発見されたこと。アイヒマンと協力して作者と流出ルートをつきとめろ、とドルフに命令します。

この「匿名のレンブラント」の正体は、カール・ワイスを含むテレジエンシュタット収容所の画家たちです。本筋であるワイス家の物語とエリック・ドルフが絡む部分はいくつかありますが、ここもその一つ。このあたりのストーリーは時代背景2/3の記事にあります。

次の幕で、ドルフはテレジエンシュタットを訪れてアイヒマンと会っています。冷や汗をかいているドルフの様子にアイヒマンが目をとめます。ヘースと同じく、ライバルの弱味を目ざとく見抜いているのです。ドルフが新しいボスに良く思われていないこと、この任務に失敗したら将来が危ういことを。

アイヒマン]    エジプトには新しい王が現われたが、君はヨセフとは言えんな。今やカルテンブルンナーが王だ、そうだろう?

アイヒマンがこんなふうに余裕綽々なのは、カルテンブルンナーとは故郷オーストリア時代からの古いつきあいだからと思われます*1。画家たちが連れてこられると、ドルフが「ここは君の領土だ、進めてくれ」と言う。これはテレジエンシュタットの運営がアイヒマンにまかされていたことからでしょう*2

画家たちに向かってアイヒマンがエリック・ドルフの名前を言うと、カール・ワイスはぎょっとしたような顔をします。同じくカールが名乗ったとき、ドルフも反応している。ドルフ家とワイス家は近所だったし、互いを覚えていても不思議ではないです。

この次の場面は以前にいちど紹介しました。カールの妻インガがドイツ人で、彼を追ってテレジエンシュタットに来ていることを、収容所長のラームがドルフに耳打ちする。ドルフはその情報と自分たちに面識があることを利用してカールに仲間を裏切らせようとするが、失敗。結局、三人の画家は連れ去られ拷問されることになります。

翌晩あたり、ラームの部屋にて。画家の一人は死亡したが、残った二人は口をつぐんでいる。なんとしても口を割らせろ、とドルフが言うので、ラームは「ではもっとやるしかない」と部屋を出て行きます。

[ドルフ]       (ラームの後から)殺すんじゃないぞ。

アイヒマン]    どうせアウシュビッツ行きだがな。

[ドルフ]       吐かせてからだ。

並んで立っているこの二人の目つきが、ミーアキャットなんかの獰猛な小動物を思わせるのです。あるいは『ジュラシック・パーク』のプロコンプソグナトゥス。ライオンやトラの威厳はないが、数の力を頼みに獲物を狩る、無慈悲な群れといったところ。

結局、この件ではドルフは手柄を立てられずじまい、生き残った画家たちも絵を描けないように手を潰されてしまう。救いのないドラマの中でも、特にやりきれないエピソードでした。
 

*1:そもそも1931年にアイヒマンを親衛隊に誘ったのがカルテンブルンナーだったのです

*2:もう少し詳しくいうと、テレジエンシュタットは中世の城塞都市で、大テレジンという市の中心部と、小テレジンという小さい城塞に分かれている。大要塞は親衛隊の運営するユダヤ人ゲットー兼収容所、小要塞はゲシュタポの刑務所だったそうです。以前のNHK特集の映像と比べると、拷問のシーンは小要塞をモデルにしているように見えます

Law & Order UK 1-4 Unsafe 「因縁の棲家」

 
UK1-4「因縁の棲家」のベースはプライムの4-8「過去から届いた挑戦状」。元エピソードはドラマチックな緊張にみちており、これをリメイクするのは野心的な試みだと思います。

さらにプライム4-8は演出に微妙なユーモアが混じっています。ストーンはエピソードの大半をピンチに陥って過ごすのですが、その悩みは敗北感や意地、失策を上司に責められる情けなさなど、身近で現実的なもの。ジェリコ・イバネク演じる犯人もサイコ・キャラながら妙にコミカルな感じがあります。

UK1-4では、スティールの悩みはもっと高尚な、被害者遺族に対する罪悪感ですが・・・ 私としてはなぜ彼がそこまで彼女に入れ込んでいるのか分からなくて話に乗りそこねました。クリスマスカード毎年送るって、ストーンやマッコイにそんな余裕はなさそうですが。CPはADAより扱う事件の数が少ないのかしら。

そんなことを考えていたもので、ストーリーより演技の細かいところに目が行ってしまいます。ベン・ダニエルズ、駐車場で犯人と対決する場面の怒りの表情でお気に入りの俳優となりました。両目が激しく左右に動くのは強い感情の揺れをあらわすお作法で、他の人でもみかける所作ですが、いままで見た中でいちばん激しいかも・・・きっと得意技なんだろうけど、気分悪くならないですか?って心配になるくらい。マイケル・モリアーティはこの技をあまり使わないけれど、そのかわり会話の合間に目がさっと動くのが対照的です。

そして余裕たっぷりに去っていく犯人の後姿を見送りながら、鼻水を手でぬぐうスティール(笑) ええ、検事さんそこで泣くんですか?と思ったけど、実はオリジナルのエピソードでもストーンが半泣きのシーンがあるんですよね。被告人への反対尋問を完全に論破され、シフに「敗北宣言したらどうだ、素人にやりこめられおって」と叱られるところ。あの「半泣きストーン」は本当に笑うところ(で、ストーン可愛いじゃないか!と思わされるところ)なので、「半泣きスティール」もつい笑ってしまいます。

演技対決、といえば・・・ クライマックス近くで、殺された共犯者の運命を同房囚人から聞き出すところ。のらくらと追及をかわそうとする囚人に迫る検事。
[ストーン] Russel Bobbit. Accessory to murder, Mr. Doyle. Russel Bobbit.
[スティール] Parole board.

ここのストーンの必死ぶりはすごいです。低い声で「ラッセル・ボビット」と共犯者の名前を繰り返すだけなんですが、サイコなのはこの検事のほうじゃないかと思わされるくらい。スティールにはそういう感じはあんまりなくて、もっとストレートでしたな。

セリフも比較してみると面白いです。今回だと"water under the bridge" という表現が両方に使われてたり(でも違う場面)。ローガンが "Hey, Georgie!" と叫ぶ場面はデブリンが "Oi, Freddie!" だったり。ひとを呼ぶのに「オイ」って言うんですね、イギリス人。

ティールが昔のニュース映像を見ながら「あんなに自信満々で・・・」とつぶやく場面は、ストーンの名作エピソード3-13「夜と霧」で彼が自分の姿をテレビで見ているところを思い出しました。

1シリーズ見たところでの感想は、UKのほうが「悪と対決する正義の検察」を感情的に強調する演出であり、プライムの抑えた演出とは同じ題材でもずいぶん違うものになるな、と思わされます。どっちがいいかは完全に好みの問題ですね。

ストーンの時代は、L&Oでも伝統的なドラマ作りをひきずっている点が多少あります。ストーンがカッターやスティールと似ている点は、感情的な不安定さや弱みを垣間見せることが魅力の大きな一部であるところですが・・・ その成り立ちが少し違う。最後で述べます。 

ミニマルな演出の極北はプライムの中期だろうと思います。初期よりさらにハードボイルドになり、マッコイは視聴者の感情の面倒をほとんど見ることがなく、演出側に立ってドラマを展開させる舞台装置として機能しているように見える。その分、キャストに要求される演技のレベルも高かったと思います。

プライム後期はL&Oといえど演出の傾向が一般的になってきたので、カッターもスティールも感情移入しやすいキャラクターになってますね。演出と一体となった演技であるように感じられます。きちんと考えて設計され、綿密な打ち合わせの上、信頼おける演技力で実現されたという感じ。

しかし私としては、L&Oの真髄は「ミニマルな演出と、その枠からはみ出すような演技」である、と思ってます。EADAをストーンからスティールまで並べてみると、「演出からはみだす」傾向はストーンが一番強いかもしれない。先日の掲示板での議論やモリアーティの自伝のとおり、ベン・ストーンは作られたキャラクターではなく、モリアーティその人であったのだと思えばうなずけます。

大層な言い方をすると、ベン・ストーンはそういう意味で特別であり、だからL&Oのすべての検事の原型となりえたのだ、と言えるかな。UKをネタに結局はストーンを語ってますね・・・