お姫様

 
 
この前から、恋愛について妙に受け身なカミナーやストーンのお姫様願望について考えてましたが、それに関連して思い出したのが、「シャンバラとマリオン」の項で触れたマイケル・モリアーティの自伝の一節です。「あの人、私のことを好きなのかしら」と思ったときの女性の反応をなかなか鋭くとらえていると思ったら、それが自分だというから驚きです。

(p. 95)  女性はすばらしい。少しでも感受性を持ち合わせていれば、自分に向けて発せられる性的なメッセージをもれなく感じ取ることができる。そのような関心に怯える女性もいる。しかしそうでない者もいる。彼女らは、男の視線に想像力を刺激され、決して実現しないとわかっている白日夢にふけるすべを心得ている。そのような夢での関係は、どこかよその星を舞台に展開し、誰にも決して知られることがない。

その点で私は男性より女性に近い。

男という機械のそのほかの要素はすべて備わっている──私は戦士だ。私より優れた、あるいは私より多くの勝利を収める戦士はいるだろうが、勇気と大胆さにおいては誰にもひけをとらない。

この部分は、「マイ・フェア・レディ」の項で引用した段落のすぐ後に続いています。ヒギンズ教授の役作りで、彼が恋に落ちるさまを表現しているところ。そこからどうしてこの話につながるのか不明なんですが、ヒギンズの恋情をイライザが感じ取ってどう反応するか、を考えているうちに自分の話になってしまったんでしょうか。まあ日記だからそれほど理路整然と書いてなくてもおかしくはないです。

それよりもあいかわらず凝った文章が訳しにくい。情緒的な内容を観念的な言葉を使って表現してあるのは、彼の文体の特徴です。読んでいて「言いたいことはわかるけど、難しいことじゃないんだからそんなに複雑な表現の仕方をしなくても・・・」と思わされることがしょっちゅうあります。ただ、複雑だからといってぎこちないわけではなく、逆に言葉があふれてどんどん流れていってしまう感じです。

これは、話があちこち飛ぶのと合わせてモリアーティの文章が読みづらい原因のひとつですが、そこが魅力でもあります。情緒的なところと観念的なところが同居しているのが、彼の人となりそのもので天才たるゆえんだろうとひそかに思っています。

ついでに脱線しますと、彼の音楽を専門家が評価するとやはり「観念的」となるらしい。ひと月ほど前の本人のブログ記事で、クラシックの曲をレナード・バーンスタインに送ったら「非常に理論的」という感想をもらったという話がありました。またジャズライブの観客が「頭脳的ピアノ」と喋っている記事も見たことがあります。演技の方は・・・・・どうかな?素人にはよくわかりませんが「テクニカルな感じがする」と思ってそう書いたことはあります。

話をもとに戻しまして、引用部分で彼が言いたかったことをもっと散文的に変換してみると、異性が自分に関心を持っているらしいと気づいたときに、現実の関係が始まらないうちにいろいろと妄想して楽しむという傾向のことを言っているのでしょう。こういうとき、本人は必ずしも実際の恋愛を望んでいるわけではないので、積極的な行動には出ない。他人の心を覗いて満足するカミナーそのものです。

これ、たしかに女性にはよくあることだと思うのですが(本当か?自分だけだったらどうしよう・・・・・)、恋愛において女性的なのはストーンやカミナーだけでなく、モリアーティ自身もそうらしい。

ちょっと可愛いのが、そう告白したところでオカマっぽく思われるのが嫌なために、すかさず自分の男性性をアピールしていること。その辺も、例のシャンバラとの初対決シーンで紳士を演じるストーンそっくりでわかりやすいです(笑)