ベン・ストーン降板騒動


では、「最後のひと押し」となった降板騒動について、ネットからわかる限りの背景を。出所の怪しい情報もありますので、何が事実かはわかりませんが。

93年、時のクリントン政権は犯罪撲滅キャンペーンを開始しました。ジャネット・リノ司法長官はテレビ番組が暴力を煽っていると批判。槍玉に上がった番組の一つがLaw & Orderでした。確かに、視聴率稼ぎのため暴力をセンセーショナルに扱うことは批判されるべきでしょうが、どう考えても対象番組の選択が間違っています。

テレビの暴力表現について検索するとNational Television Violence Studyがよく言及されているようです。96年から98年にかけて行われた大規模な調査研究で、暴力シーンの数と量だけでなく、暴力がどんな文脈で扱われているか【暴力の結果として加害者が罰を受けるか、それとも報酬を受けるか】を分析しているらしい。L&Oでは加害者は基本的に裁かれるわけだから、このような調査に基づけば、非難される筋合いは少ないと客観的に言えたはず。しかし残念ながら93年当時は国政レベルでも単なる感情論がまかり通ったということですね。

このころに撮影されたのがシーズン4。ちょうど今日本でやっている分です。93年9月に放送されたエピソード1 "Sweeps" 『犯罪のお膳立て』は、まさに「テレビ番組が誘発した殺人」の話です。これは批判に対する番組からの公式な態度表明といえると思います。この当時は、番組全体で司法省の圧力に抵抗しようという気運があったのでしょうか。

一般にシリーズものの撮影は夏から始まるそうだから、93年前半にはすでに司法省から圧力がかかっていたと思われます。それから同年秋にかけて、この問題は解決することなく続きました。11月18日、ネットワーク局NBCの重役たちと、プロデューサーであるディック・ウルフがリノ長官と直接話し合うためワシントンへ赴きます。

この会合にウルフは主演俳優を一緒に連れていくことにする。なぜかは分かりません。ウルサイ奴だが一度むこうに会わせておけば納得するだろうと思ったのかもしれません。当局側が少しトーンダウンしそうだという情報もあったらしいから。

しかし実際には会合での司法長官は変わらず強硬だったそうです。話し合いは平行線だったか番組側がとりあえず譲歩(するふりを)したか、いずれにせよ大人の結論で終わったのでしょうが、一人だけそれを腹に据えかねた人物がいました。もちろん、マイケル・モリアーティです。

彼は記者会見を開き、業界誌に広告を出し、言論の自由の弾圧との戦いに加わるよう、ハリウッド全体に呼びかけました。言っていることはたしかに正しい。しかしたとえ心の中でそう思っていても、表立って賛成する者はいませんでした。 …黙殺。おそらく、テレビ局やプロデューサーの意向に逆らいたくないのが理由じゃないかと思います。

なぜならNBCやウルフなど「大人」たちは当局とこれ以上もめたくないし、玉虫色でもなんでもいいから事を収めたい。それなのにいくらなだめても言うことを聞かず、リノ長官を個人的に訴えるとか息巻くモリアーティは「手に負えない」と判断されかかっていたであろうから。

正しいことを言っているのに、なぜ同業者の誰も支持しない?それらの人々もまた彼の「敵」となってしまい、一人十字軍状態*1の彼の言動はますます過激に、そして現実離れしていく。このような状況で、周りからだんだんと人が離れていくのは想像がつきます。

四面楚歌の中、94年3月放送分のエピソード17 "Mayhem" 『大騒動』の撮影があります。警察パートがほとんどで検察の出番が少ない異例の構成。モリアーティはこれが大いに不服だった、というか、自分を排除するプロデューサーの陰謀だと受け取ったらしい。それは妄想だったかもしれないけれど、その前から彼は撮影現場でいろいろ問題があったという噂も見受けられますから、出番を減らさざるを得ない事情もあったかもしれない。

94年の1月または2月、モリアーティはベン・ストーン役を降りる旨を制作側に正式通知します。

この辺が新聞記事などから集めたストーリーです。しかし、前にも書いた通りこの騒動はあくまできっかけで、彼の変貌の本当の原因は心の中にずっと以前から存在していたように思えます。The Gift of Stern Angelsが届けば、本人の言い分を聞けるでしょう。正直いって事実関係についてはあまり期待してないですが、まさに「大騒動」だった当時の心情をどう語っているのか知りたいところです。
 

*1:ここ、うっかり「ジハード」って書きそうになったけど、反イスラムの彼はたぶん許してくれまい。十字軍なら問題ないでしょ、マイケル?