マイケル・モリアーティ:リベラルからリバタリアンへ

 
今まで、モリアーティの政治的意見についてはほぼ無視してきました。私自身それほど政治に興味がないのと、彼の主張にほとんど説得力がないためです。しかし前回の記事の通りL&O降板に関わっている以上、まったく触れないわけにはいかないだろうと思ったのでちょっと書いてみます。

1994年の彼の日記を読むと、リベラルからリバタリアンへの転向がはっきりとわかります。保守派じゃなくリバタリアンとしたのは、司法長官との対決がきっかけで「自由を守るための戦い」に目覚めたと書いてあるためです。

リベラルとリバタリアン。どっちもリバティ(自由)と語源を一にする言葉で似ているけれど、政治的な立場としてはかなり異なります。リベラルは、国家が人権を保障し、国民の自由を差別や搾取から守ろうという立場。リバタリアンは個人の自由を最大にする立場で、国家や法律の介入を極端に嫌う。

アメリカで医療保険制度があんなに激しい論議の的になるのは、リバタリアン的な考えが根強くあるためです。自分の病気に備えるためなら、各自が自分で貯金しておけばいい。なぜ政府が私の金を吸い上げて、貯金しない他人のために使うことが許されるのか。中間選挙の頃に話題になった、草の根保守主義ティーパーティ(茶会党)は、主にこうした考えの人の集まりです。

このほかに伝統的な保守主義の考え方もあります。リバタリアン保守主義と重なっているところもあるけれど完全には一致しない。例えばリプロダクティブ・ライツ(生殖に関する選択の権利)では、伝統的保守主義がpro-life(妊娠中絶禁止)なのに対し、リバタリアンはpro-choice、つまり個人の自由選択を重視する考え方。中絶支持というより、禁止に反対なんですね。また、リバタリアンは対外戦争を嫌う(私の税金を他国のために使うな)。しかし、この二つはティーパーティのように一つの党派の中で共存していることもあるし、ある人の中でもそれほど区別されていないこともありそうです。

モリアーティの場合も、pro-lifeだったり(これは転向以前から)、サラ・ペイリンを支持してたりするところは保守派に見えるけど、リバタリアンなこともよく書いている。自由原理主義という印象。どっちにしろ独自路線で、既存の政党や考え方とも馴染まないんですが。

たとえばWar on drugs(麻薬撲滅戦争、合衆国政府が1988年頃からコロンビアやメキシコの麻薬組織に対してしかけていた攻撃、そして国内での撲滅キャンペーン)について。麻薬撲滅戦争は90年代当時、非常にホットな話題でした。これを彼はよくわからない理屈で批判している。ストリート・バイオレンスの原因は、麻薬ではなく政府の麻薬撲滅戦争だ。そして、暴力的テレビ番組への批判は、それを隠蔽するためのスケープゴートなのだと。

実はここから話が修正第2条(人民が武装する権利)まですべって行ってしまうので、ストリートの暴力とどう繋がるのかわかりにくい(誰か解説してくれ〜!)。まあ、細かいことは置いておいて、Stern Angels の後半に「銃規制法案が下院を通過した。6か月前なら私も支持しただろう」という箇所があります。調べると下院がFederal Assault Weapons Ban (AWB)法案を可決したのが94年9月13日。日記の順番からしてもその頃だと思います。

(p.176)  92年にはクリントンに投票した。当時は彼の意見に賛成だったからだ。人々は麻薬にどう対応すればいいか分からず、銃の扱い方も知らない。自分の医療費に備えることもできず、自分の子供をテレビから守る方法も知らないという意見に。

こうした人々の数は増えつつある(中略)。なぜならみな自由を怖れているからだ。私もかつてはそうだった。

だがもう違う。

要するに、自分が以前に支持していた民主党の政策は、国民を子供扱いするもの(パターナリズム)だと批判しているわけです。そして、その転向が94年の早いうちに起こったことを示唆しています。

ここは94年3月撮影のL&O 4-19「サンクチュアリ」でのシャンバラ・グリーンとの会話そのもの。ストーンが「流行っているときだけリベラリズムの衣装を着る」(実は保守派だったのね)という彼女の批判は痛烈です。しかし、ストーンにしてみれば別にもとからコンサバだったわけではない(pro-lifeではあったけれど)。オフィスにはボビー・ケネディのポスターや写真を飾っていたほどです。むしろ、いつの間にか自分の知らない事情(!)で右側へ押しやられ、そのせいでシャンバラと傷つけ合うことになってしまったのは、不条理な状況だったことでしょう。


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・・・・・最後の段落ではなぜかモリアーティとストーンを二人の人物として扱ってますね。実は「サンクチュアリ」を最初に観たときからそうでした。他の映画の登場人物は、ジミー・クインにしろスティーブン・ジャービスにしろヘンリー・ウィギンにしろ「モリアーティが演じている人物」なんですが、ベン・ストーンは別格。モリアーティ自身もそう書いているし、独立した人格として扱いたくなる。だからハワイで道草してても許してやろうって気になってます(笑)