『ホロコースト』 ディスク3 ヴァンゼー会議

 
1942年1月のヴァンゼー会議の幕です。しかしこのドラマはもともとけっこう脚色が入っており、かならずしも史実通りではありません。ヴァンゼー会議については、リィンさんに教えてもらって買ったTV映画作品があり、会議のアウトラインについてはそちらの方がずっと正確なようです。なので『ホロコースト』のこの部分については、会議そのものより、その前後で印象的な場面を主に見てみます。

会議の日の朝。公用車から降り立ったハイドリヒとドルフが、黒革のロングコートをなびかせながら並んで階段を上がっていきます。ハンス・フランクが「おはよう」と声をかけますが、ハイドリヒは無視。ドルフはちらりと後ろを振り返ってみるだけ。フランクが吐き捨てます。

みごとな組合せだ。半ユダヤ人に、いんちき弁護士とは。

会議では、ハイドリヒがユダヤ人1100万人という数字と、その「処理計画」について発表する。教会や外国の反応を怖れる文官(クレジットにそれらしい役名がないのですが、内閣官房のクリツィンガー博士という設定じゃないかと思います)や、法の擁護者を自認するフランクから異議が出るが、ハイドリヒにねじ伏せられる。ハイドリヒがドルフに引用させる総統の言葉:

我は銃剣を持って立つ。汝は法を手にして立ち向かえ。いずれが勝つかは明白なり。

会議の後。暖炉の前で、ハイドリヒ、アイヒマン、ドルフがくつろいでいます。この場面は、実物のアイヒマンが裁判で、ハイドリヒと自分の上司ハインリヒ・ミュラーの三人で残って議事録について打ち合わせをし、そのあとコニャックを一杯飲むように言われた、と述べているのに基づいていると思われます。*1

アイヒマンとドルフ、ミスタ・悪の凡庸が二人そろって「命令に従う」能力を競うような会話をしています。ウィーンで初めて会った頃はアイヒマンの方が先輩でしたが、いまやドルフもハイドリヒの配下として適切な物言いと物腰をすっかり身につけているようです。

ライバルどうしの軽い力だめしは、暗黙のうちにほぼ互角と結論が出たらしい。緊張をほぐすように、話題が互いの家族におよびます。それでも二人は「適切な」会話から抜け出すことができず、きょうの会議がいかにドイツ人家庭の幸福な将来を決定づけたか話し続けます。

子供たちの顔を見ると、自分たちのやっていることの正しさが確信できる。

ドルフがこういうと、暖炉のそばからおくびの音が聞こえる。ハイドリヒです。彼はだまって暖炉の火を見つめている。

ドルフもアイヒマンも、自分たちの教科書的なセリフのむなしさに気づいていない。それは明らかに罪悪感や不安の裏返しです。しかしハイドリヒ自身はそんなものを持ち合わせていないので、かれらの会話が嘘くさく幼稚なものに聞こえるのでしょう。

ハイドリヒは会議の間もクリツィンガーやフランクに怒るというよりうんざりしていましたが、プロパガンダを信じて盲目的に従う部下たちにも嫌気がさしているようです。頭が切れる冷酷な人物という一般的な評価のとおりに描かれているのです。(本当は音楽家になりたかったのに別の職業を選んでしまった、という点はマイケル・モリアーティにも共通してますが、それは関係ないですね・・・)


さて、もう一つの作品 "Conspiracy" 邦題『謀議』は2001年制作。この会議の一日だけを描いたテレビ映画です。出席者は発見された議事録の通り。現在は記念館になっているという、ヴァンゼー湖畔にある本物の邸宅での撮影もあるし、ハイドリヒはシュトルヒを自分で操縦して飛んでくるし、史実に細かいところまで忠実に作ってある感じです。

その上で、密室での会議進行を淡々と追いながら、そのダイナミクスを静かな緊張感と迫力をもって描いてある。地味だけどすごい作品だと思います。これでハイドリヒ役のケネス・ブラナーエミー賞主演男優賞、アイヒマン役のスタンリー・トゥッチゴールデングローブ賞助演男優賞を受賞。

形式としては『十二人の怒れる男』と似ているのですが、そのプロセスと結末はずいぶん違っています。ヴァンゼー会議の時点で最終的解決の方針はすでに決まっており、ハイドリヒが会議を招集したのは、それを伝達・徹底するためだったといいます。その決定に抵抗する勢力の代表は、クリツィンガーに、ニュルンベルク法の起草者のひとりシュトゥッカート博士。ハイドリヒはこの二人を個別に落としていきます。だからこの会議は「謀議」というタイトルから想像されるような、偉い人たちが集まって策略を練ったというものではない。逆に、ハイドリヒに脅された彼らの沈黙が歴史を決定したといえます。

もう一つのハイライトは会議のコーディネーターとなったアイヒマンの手際の良さです。高官が集まる会合に抜かりなく料理と高級ワインと葉巻を用意し、討議中は必要な数字を用意して控えていて、終わったら議事録について細かい点の確認をする。ビジネスの世界でもこういう場面はよくあるので現代の視聴者にも理解しやすい。ほんの数年で何百万人の殺戮が可能だったのは、ハイレベルでの決定に加えて、盲目的な効率をほこる中間管理職たちの働きがあったから、と思わされます。
 
『謀議』のハイドリヒは会議場となった湖畔の屋敷を気に入っていて、「戦争が終わったらここに住むつもりだ」と言います。それは実現せず、ハイドリヒはあと数か月で舞台を去ることになります。
 
 

*1:『不服従を讃えて』より