アイヒマンとドルフ
ドラマ『ホロコースト』のディスク2に移る前に、マイケル・モリアーティが「悪役は二度とやりたくないと思った」というそのエリック・ドルフの「悪」について整理してみます。
この項目はハンナ・アーレントの『イェルサレムのアイヒマン』(1963年、大久保和郎訳、みすず書房)にほぼ基づいています。1960年のアイヒマン裁判を傍聴した哲学者アーレントが著したもので、その後の潮流に大きな影響を与えている書物です。
ちなみに2012年制作の『ハンナ・アーレント』という映画が今年10月に日本で公開予定。この本とそれがもたらした反響を描いたものだそうです。公式サイトは http://www.cetera.co.jp/h_arendt/
『イェルサレムの〜』でのアーレントの主要ポイントは3つほどあります。
1.悪の陳腐さ。本の副題にもなっている概念です。アドルフ・アイヒマンは本質的には単なる中間管理職であり、有能だが凡人で俗物であった。
2.エルサレム裁判の政治的側面。
3.ユダヤ人評議会やゲットー警察といった組織に属していたユダヤ人の対独協力。
【1.悪の凡庸さについて】 アイヒマンはニュルンベルク裁判よりずっと後になって捕まったせいで注目され、また2.に挙げたような事情もあって必要以上に大物視された感があります。しかし、ナチスの巨大な官僚組織の中には何百という下級官吏がおり、その中でたまたまユダヤ人の移送を専門としていた歯車がアイヒマンだったと見ることもできる。彼の仕事をするには何か特殊な「悪の才能」が必要だったのではなく、同じ立場であれば誰でもが彼になりえたというところが何よりも恐ろしいです。
ドラマ『ホロコースト』において、アイヒマンを主要登場人物とせずにわざわざ架空の人物エリック・ドルフを創出して登場させたことは、その凡百の官吏を代表させる効果にもつながっていると思います。
ドルフはウィーンの遊園地の場面のあるセリフで、「私は命令に従うだけ」と述べています。アイヒマンと「凡庸な悪人達」のキーワードです。エリックは最期の場面でも同じことを言います。自分は何かの判断や決定をしたのではない、すでにある大方針を実行に移すのに努力をしただけなのだと。
実物のアイヒマンは裁判前の警察による取調で、仕事の細かい内容について喋っています*1。「たとえば1000人のユダヤ人をパリから東部へ移送するという指示が来たら、部下に数字を計算させてから運輸省と交渉して列車を手配し・・・」 これが本当に中間管理職という感じで、自分が会社で日々やっていることと大して変わらない感じがするのです。
自分や同僚は、会社のミッションに貢献することを目標に毎日仕事しています。その使命とは売上拡大、利益向上*2。 働きながらそれを疑うことはありません。金儲け自体は今の社会では別に悪ではないけれど、何百年か経ったときに、それが悪であるとみなされない保証はない*3。 その時に自分はどう申し開きをするか?おそらく「私は、命令に従っただけ」と言うと思う。
【2.エルサレム裁判には政治ショーの面もあった】 この裁判の検事は、アイヒマンのことを上記のごとき平凡な役人ではなく、「ユダヤ人の処理を一人で決定するだけの強大な権限を持っていた高級官僚」として追求しようとした。アイヒマンをできるだけ大物に仕立て、裁判に注目を集めるのは当時のイスラエル首相ベングリオンの方針でもあった。シオニズム高揚のためのまたとないカードだったから。
この流れに逆らうアーレントの立場は、当時はアイヒマンひいてはナチスを擁護するものとして批判された(最初にあげた映画はそのあたりを描いているらしい)。しかし上に述べた通り、アイヒマンがモンスターではなくただの人間だったからこそ彼の悪は普遍性を持つのであり、より邪悪であるといえると思います。
【3.ユダヤ人の対独協力】 これは、アーレントがこの本で糾弾して以来、いろいろと議論がある点のようです。今ではたぶん「そう単純な話じゃない、彼らは加害者でもあり被害者でもあった」という考えが主流。
ドラマ『ホロコースト』では、ワイス医師がワルシャワの評議会員になって苦悩する様子が描かれたり、改宗したゲットー警察の男が「俺だって生き残るにはこうするしかないんだ」と語るなど、かなり同情的な作りになっています。
もう一つ思い出されるのがLaw & Order のエピソード3-13「ホロコーストの生き残り」です。元ゲットー警察官が身許を隠してアメリカで暮らしていたが、それが奥さんにばれて殺した話。研究者が証言台で「彼らは犯罪者である前に犠牲者だった」と話します。
逆に、ベン・ストーン検事が被告を「50年前、あなたは他人を犠牲にして自分を守った」と非難するのはアーレントに近い立場というわけです。(ただし、アーレントがより強く批判しているのは、そのような個人的保身ではなく、評議会が収容所の実態を知っていながら被移送者に対して「不要な苦しみを与えないために」事実を伝えなかった、という点のようです。)
エピソード3-13を見たときに私がここにひっかかっていたのは、悪の凡庸さを体現するドルフを演じてそれに深い影響を受けたというマイケル・モリアーティが、20年後にどんな心境でストーンにこの台詞を吐かせたのか興味があったからです。それにしては何のためらいもなく相手を責めているように見えるのが謎で。まあ、あそこは地方検事補として自分の職務=殺人犯の追及に集中していた、と考えてもいいのかも。やはり最後のテレビの前のシーンが、一番モリアーティらしいのかもしれません。