『ホロコースト』 ディスク3 1941年のクリスマス

 
ベルリン、1941年のクリスマス。このシリーズ全体で、ハイライトと言えるシーンは先日のバビヤールも含めていくつかあると思いますが、私が「戦争と家族」というテーマを強く感じるのがここです。そしてこの場面にはマイケル・モリアーティがカメラを見ているところがあるのです。


エリック・ドルフの一家がピアノを囲んで讃美歌を歌っています。ちっちゃいときに父親の制服を見てべそをかいていた息子のペーターは10歳になって、自分がヒトラー・ユーゲントの制服を着ています。その妹のローラは7つくらいでとても可愛い。独身のクルト叔父も一緒です。平和で幸福そうな一家。

ここで歌われているのは"O Little Town of Bethlehem" の最初の一節です。「ああベツレヘムよ」や「静かにねむれる」の題で日本でもよく歌われているので聞き覚えがある人も多いでしょう。


小さな町ベツレヘムよ 我らが前に静まりかえり
深く夢なき眠りの上を 星々は黙してめぐる
さりながら汝が暗き街路に 灯りしとわの光
永の望みと恐れが今宵 この地で満たされる

この中でもっともオリジナルで強い意味があるのが最後の行だと思います。言葉はシンプルだけれど、「望みと恐れ」とは何かについて観想を誘うものがあります。*1

ドラマでは、歌がこの行の盛り上がりにさしかかったところで、ピアノを弾くマルタから、隣に座っているエリックにカメラが切り替わります。エリックは歌いながら横を向いてマルタに笑いかける前に、一瞬ですがわりとはっきりレンズに視線を向けています。

今までの経験からして、モリアーティがカメラを見ているのは、何かを強く訴えたいときなんだと思います。何を言いたかったのかは、この幸せそうな笑顔と直前の処刑写真の場面との対比から推測するしかありませんが。

普通に取れば、恐ろしい事業を進めながら家庭では平然とよき父親を演じる親衛隊将校、という恐怖の表現であり、理解しがたい悪魔のようなナチス、という感想になるでしょう。The hopes and fears of all the years... という歌詞が本来と違った意味を持って迫ってくる感じがして、ぞっとします。

しかし本当にそうでしょうか?親衛隊に入る前のエリックは優しい若者でした。そして、モリアーティの演技をずっと見ていると、ドルフ少佐の仮面の下には純情なエリックが確かに存在するのがわかります。だからそう単純な話ではないはず。

ファンとしての偏った思い入れと思い込み全開な解釈をしますと・・・・・エリックのこの笑顔には「助けてくれ」と書いてある気がするのです。

これに関連して、IMDbのユーザーレビューに興味深いことが書いてありました。

この作品の俳優たちはみな役に深く入り込んでいたそうだ。マイケル・モリアーティは「クリスマスパーティの場面を演じた後で泣いてしまった」と言っていた。

このレビューにしか出てこない話なので、どこからの引用なのか未確認ですが、カメラ目線から推しても、彼がそれくらい思い詰めて演じていたことは想像できます。

歌の後に展開する会話で、この場面の残酷さがもっと浮き彫りになります。

ピアノが話題になります。ベヒシュタイン社の逸品だ、よく手に入ったね、とクルト叔父がいう。エリックは、近所の診療所で埃をかぶっていたものを党から譲り受けたのだと答える。つまりこのピアノは、ナチがワイス医師をポーランドに追放した後に接収したものなのです。ピアノの由来を重ねて尋ねるクルト叔父に対し、エリックはバビヤールでの会話と同じ、罪悪感を押し殺したような白々しい答を返します。

クルト叔父の表情は曇り、冷たい空気が流れる。如才ないマルタは子供たちにプレゼントを開けさせてその場を取り繕います。ペーターがもらったのはペットの白鼠2匹。ペーターは「ジークフリートとヴォータンって名前にしよう」と言います。*2

プレゼントの後、マルタがもう一曲歌っておしまいにしましょう、と言ってまたピアノを弾きはじめます。ところがあるキーが鳴りません。蓋を開けてみると、弦の上に写真が何枚かはさまっています。ワイス医師一家のピクニック風景に、カールとインガの結婚式。尊敬されていた一家だったのに散りぢりになって、もう誰もベルリンに残っていないのです。

エリックは娘に「捨ててきなさい」と軽くいう。ローラが暖炉にくべる写真の映像に、ドルフ一家が歌う「聖しこの夜」が重なります。

オスカー・シンドラーがモデルらしいクルト叔父は、バビヤールでエリックに会った時からSSのやっていることに疑いを抱くようになっています。それだけでなく、この場面では甥のエリックの人間性にも初めて不安を持った。歌いながらエリックと交わす視線にそれが表れています。



ドルフ家とワイス家の対比がピアノと写真を通してあざやかに描かれる名場面だと思います。これが戦場でなく家族団欒の場面である ── 加害者側もやはり家族の物語であるところが、このドラマが他の作品と違っているところだと思うのです。

この月にはアメリカが参戦。戦況はドイツ不利に見え始めていますが、ホロコーストはこれから加速していきます。



無駄話: 私、今年の途中からドイツの会社で働き始めまして、クリスマスシーズンになったらオフィスにドイツのお菓子、シュトーレンや星形のクッキーなんかがたくさん送られてきました。この場面を思い出して感慨深かったです。そして以前の会社の上司はストーン氏でしたが、今度はベッカー氏(パン屋の意味)。エリック・ドルフはパン屋の息子でしたから、何かの縁なのかも。
 
 

*1:なお、日本語の讃美歌集や聖歌集ではおおむねこの一行は訳されていません。

*2:こんなところにも時代が反映されています。それにドルフ夫妻はハイドリヒからオペラに招待されたりしているので、その影響もあるのかも。