歌うベン・ストーン4 "April in Paris"

 
前の記事の続きです。ジミーは店に入り、演奏が終わってカウンターに戻ったストーンの隣に座る。

「行ってきたぜ。マッコイって奴に会った」
「首尾は?」
「オーケーだ。だが女の検事補が来て、ばれそうになったから逃げてきた」
「ははは。クレアか。彼女の目はごまかせないな」

検事局から必死で逃げ出した話を聞いて気楽そうに笑うストーンを見ていると、やはり納得がいかない。

「なあ。あんた、なんであそこを辞めたんだ」
「いろいろあった、と言ったろう」
「そうじゃなくてさ。マフィアの脅しとか、誰かが殺されるとかは日常茶飯事だったんだろ。そんなんが理由じゃないはずだ」

急に静かになったストーンがグラスを掴み、ちらりとジミーを見て酒を呷る。

「なんだよ、一体」
「ジミー、俺は・・・・・お前が羨ましいんだよ」

何だと、俺になりたいっていうのか。勘弁してくれよ。まさに悪い夢だ。

そうか、こいつといるときに感じる居心地悪さはこれだったんだな。こいつが俺の人生を乗っ取ろうとしているような気がするんだ。冗談じゃないぜまったく。

だけど、なんとか地方検事補って偉そうな肩書があって俺よりずっと恵まれてたはずのこの男が、なぜしがないピアノ弾きに憧れるんだ。もしや、こいつも誰かに人生を乗っ取られてしまったんだろうか。他人の人生を左右する権力を持つ検事に、なりたくてなれなかった誰かに。

ジミーが黙って考えていることを半分だけ感じ取って、ストーンがこんなことを言う。

「安心しろ。別にお前の店を狙ってるわけじゃない。100万ドルが入ったら、その分け前で俺もしばらく暮らせるだろう。ヨーロッパへでも旅行するさ。前から行きたかったんだ」

そういうとスツールから滑り降り、またピアノを弾き始める。今度は "April in Paris"だ。

パリの四月
マロニエに花咲き
木陰には祝日の食卓
パリの四月
他のどこでも味わえぬこの気分

春の魅惑を知ることなく
出会わぬままに過ごしてきた私
わが心の歌に気づかず
誰かの暖かい腕を恋うこともなかった
パリの四月に会うまでは。

誰のもとに赴けというのか
パリの四月よ、私の心に何をした?     *1


なんだ、意外と平気そうじゃないか。柄にもなく心配してしまったぜ。ジミーは歌にむかってグラスを挙げる。今夜の演奏は奴にまかせ、家に帰って家族と過ごすか。じゃあな。頑張れよ。
 
 

*1:"April in Paris" 1932 by Vernon Duke and E. Y. Harburg