Law & Order 3-13 Night and Fog  「ホロコーストの生き残り」 1/2

  
このところシーズン3が気に入ってます。その中でも、このエピソード(原題『夜と霧』)はテーマが重くて内容も濃く、キャストの演技も力が入っている。特にマイケル・モリアーティは思い入れを持っていたと思います。

彼は1978年のテレビシリーズ『ホロコースト』で演じたナチスの親衛隊将校エリック・ドルフ役で高い評価を得ましたが、同時にその役のせいで自分も深く傷ついたらしい。自伝には、本物の収容所での撮影で、SSの制服を身につけ、遺体処理に実際に使われた焼却炉の前に立ったときの気持ちを、ほんの一言だけ書いています。

もちろんここではそんな様子を見せずにいつも以上に抑えて演じているけれど、最後でテレビを見ている場面の表情など、やはりそういう体験をした人ならではという感じがします。

睡眠薬の過剰摂取で亡くなったと思われた老婦人。エピソードの早いうちから夫ともどもホロコースト生還者であることが語られます。冒頭で夫が妻殺しを告白したはずでした。ところが、いつのまにか主張が自殺幇助にすりかわっている。

自白の証拠差し止め請求にて、判事の前ですらりと嘘をつく夫、驚いて立ち上がるストーン。その場では黙ってますが、警察組の前では「他にも嘘をついてるかどうか確かめたい」という。なるほど、後になってこの「もうひとつの嘘」が大きな意味を持ってきます。

証拠や証言は夫による殺人を示している。さらに、捜査でヤクブ・スクルマンという名前が浮かぶ。ポーランドの戦犯法廷にて、欠席裁判で有罪になっている。この辺から、収容所の名前やゲットー警察(Ordnungsdienst)などの言葉がたくさん出てきます。スクルマンはウージ(英語読みでロッズ、ドイツ語でリッツマンシュタット)でゲットー警察の一員だった。

ユダヤ人評議会やゲットー警察はナチスの傀儡として、同胞のユダヤ人を管理、搾取、ときには虐殺に手を貸したとされている。信じがたいような話だけれど組織的に行われていたそうで、『ホロコースト』でも「ユダヤ人みずからにやらせた方が効率的」と言及されています。

スクルマンはゲットーで権威をふるっていたが、結局は自身がアウシュビッツに送られたという。ホロコースト研究センター(実在のセンターかと思ったけど、どうやら架空の団体、ただしこのような研究所はニューヨークに複数あるらしい)では、彼らもナチスに騙されたのだという。

ここで語られているのは、ナチ体制下のドイツ帝国で、誰が加害者で誰が被害者だったのか、単純に色分けはできないということ。そしておそらく、どの戦争でも、どの国でも、簡単な色分けなど不可能であること。

スクルマンはアウシュビッツを生きて去ったらしい。年齢、職業、経歴が一致する夫の正体はスクルマンなのか。もし、妻が夫の正体に疑問を抱き始めていたなら。妻が警察に通報すれば、夫は戦争犯罪人としてポーランドへ身柄を引き渡され罰を受けることになる。それが殺害の動機では。

「逮捕しろ」というストーンは、いつもの確信がないようです。少しためらっているのは、ローガンが「腕の囚人番号」のことを言ったせいか・・・腕に彫られた番号を見せろということになると、この時点で予期してたんでしょうか?

オフィスにて。ストーンは、もし自分の考え通りスタインメッツ=スクルマンであり、それを隠すために妻を殺したのなら、謀殺で勝算はあるという。

娘マーラが反論する。「もし検事さんの間違いだったら?」 人違いだったら、または殺人じゃなかったら?
1. 本当は別人なのにスクルマンだと思われてしまったら、家族はユダヤ人コミュニティから唾を吐きかけられるようになる。
2. たとえスタインメッツ=スクルマンであっても、それはストーンが追っている犯罪そのものではない。妻殺しの傍証として動機を立証しようとしてるだけ。動機が確かめられても、犯罪そのものを立証したわけではない。殺人ではない可能性も残っている。なのに、戦犯の家族と思われた場合の損害は上と同じ。

つまり、どっちの場合でもストーンは家族三人の人生を何の意味もなく破壊することになるんです。その見込みをマーラに突きつけられ、さすがのストーンも動揺して目が泳ぐ。

スタインメッツがスクルマンかどうか、腕の入墨の番号で絞り込めそうなことが分かる。検察に番号を見せるべきか。判事も感情的には抵抗があると言いつつ、法的には拒絶できないと裁定する。結果は、スタインメッツとスクルマンがアウシュビッツに到着したのは同じ日である。同一人物であるという疑いが濃厚に。(たとえば一番違いの別人の可能性だってまだ残ってるけど、そこは話の都合上無視することにしたらしい・・・)

ビネット   I was hoping.
ストーン    Yeah, so was I.

ここのロビネット、センテンスを最後まで言ってないんです。日本語と語順が違うせいで訳しにくいけど、「私は願っていた・・・(人違いであってほしいと)」。別人だとはっきりすれば、「過去の非人道的行為の痕跡を裁判に利用した」という良心の呵責から逃れられるから。言葉を濁したのは、別人だと検察の仕事には不利だから。そういう板挟みの気持ちは、ストーンも同じだったわけです。*1

司法省を通してポーランドからの身柄引き渡し要求がからんでくる。こっちの裁判が済んでからだ、と拒否するストーンに言い放つ司法省氏。
「一人の死は悲劇、何百万人になればただの統計。そう言いたいのかね。50年前のスターリンの言葉だが」 「そんなことは言っていない」

スクルマンのどちらの悪を裁くべきか苦悩するストーン。レストランでのシフとの会話、前半の見せ場ですねぇ。二人の演技と、ストーンの横顔をじっくりとどうぞ。コーヒーを飲みながら、シフに胸中を明かしてます。横を向いて椅子に座っているところに、カメラがじわじわと寄っていきます。

アダム・・・私は同じところを堂々めぐりしている。この男の正体が誰であれ、私が勝てば妻殺しで投獄されるが、その元となった犯罪については裁かれないままとなる。敗ければ、ポーランドの引き渡し要求は人違いだという奴の主張を支持することになる。どっちにせよ、大量殺人犯がその犯罪を隠蔽するのに手を貸すことになる。

Ben, a woman was murdered in our jurisdiction. And that is our only priority.
ベン、我々の管轄で人が殺されたんだ。優先事項はそれしかない。

So we shield him? Poland is not entitled to punish him for the greater evil?
ということは、彼を保護すると?ポーランドは、より大きな悪で彼を罰する資格がない?

Greater evil? Since when did you get so philosophical? This office doesn't care about Poles or Nazis (中略). We're not in the evil business, we're in the crime business.
大きな悪?お前はいつから哲学者になった。この検事局にはポーランドもナチも関係ない。我々が扱うのは善悪の問題じゃない、犯罪だ。

これに対してストーンは、さっきのロビネットと同じく最後まで言わないで、途中で言葉を切ってシフの顔を見ます。

Adam, I may be wrong, but I thought that, of all people you would want..... (Skulman to be extradited to Poland.)
アダム、間違っているかもしれないが、私は、誰あろうあなたの望みは・・・  (スクルマンをポーランドに引き渡すことだろうと思ってましたよ

The man killed his wife. Try him, convict him. That's all I want.
奴は妻殺しだ。裁判にかけ、有罪にしろ。私の望みはそれだけだ。

ストーンのセリフ、無粋を承知で言わなかった部分を補足してみました*2ユダヤ系のシフはスクルマンを戦犯として裁かせたいだろうと、ストーンは推測していた。だから最初に言ってたようなダブル・バインドの状況に加えて、シフへの気遣いと自分の職業倫理の板挟みで苦しんでたわけです。が、シフは当たり前のように、個人的な感情より地方検事としての仕事を優先した。方向を見失ったストーンに道を指し示してやるのは、1-9『親失格』と同じですね。ストーンはその指示の簡潔さに驚きながらも納得し、表情が明るくなってます。

善悪を裁くのではない、犯罪を裁くのだ。というのはシフがいつも言っていることです。もちろんドラマ的にはその方が話がわかりやすくなる。でも、これにはもっと深い意味があると思います。

善悪の基準は、道徳や価値観、ときには宗教に基づいている。そして、道徳や価値観や宗教は人によって異なる。特定の道徳や宗教を誰からも強制されないのは、人間の基本的な権利であります。じゃあ、その異なる価値観を持った人間の集まりである社会において、どうやって秩序を保つのか。それが法の役割です。多様な道徳や宗教の間をとりもつ、最低限の共通項が法なのです。そうしないと、国や州が個人の道徳や宗教を裁くことになってしまう。それは自由な社会とはいえない。

だから、たとえば宗教がからんだエピソード(カルト殺人とか、子供の医療拒否とか)では、検事は被告の宗教を糾弾するような方向を注意深く避けて歩かなければならない。道徳ではなく、あくまで既存の法に照らして訴追することが求められる。その辺を意識してると、L&Oの社会問題系のエピソードが勧善懲悪を目的としてないのがよくわかります。

とはいえ、テレビを見ている方は勧善懲悪がないとカタルシスが得られない。たまにすごーく後味の悪いエピソードがありますが、そういうのは法の正義=善悪ではないことを示してるわけですね。

司法じゃなく政治においては、保守派はどちらかというと上のような考えではなく、ある特定の宗教・道徳観にもとづいて物事を決定しようとする。リベラル派はというと、JFKはカソリック初の大統領だったせいもあるかもしれないけれど、みずからの宗教や道徳観を封印する主義だった。オバマ大統領はまた違って、キリスト教的道徳を政治に反映させようとしているようです。スパドラの番宣で「二つの正義」と言ってますが、アメリカの社会も両極の間を揺れ動いているわけです。。。


柄にもなく正義について語ってしまった。エピソードの方はここまででかなり見ごたえがあったのに、まだやっと半分です。いつもだとこれからストーンが出てくる頃なのに、もうおなかいっぱい(笑)長くなりそうなので、後半は次の記事にて・・・
 
 

*1:ここの会話、字幕は違ったふうに解釈してましたね

*2:ここの字幕も、表面上の流れがつながるように少し変えてありました。ただそれだと、ストーンがなぜ悩んでたか伝わりにくいのでは?と思う。