ベン・ストーンの退場 (The Gift of Stern Angelsより)

ふたたびマイケル・モリアーティの著作 The Gift of Stern Angels より。この日記の始めのあたりにエピソード4-19 "Sanctuary" が制作されています。台本が届くところから、リハーサル、そして撮影の数日にわたって書き込みがあります。

台本が届いた日。これを実質上の退場エピソードだと受け取り、不安と同時に興奮を感じると言ってます。悲しいとかショックとかではなく、もっと深いところから揺り動かされたと。

数日後、シャンバラ・グリーンとのリハーサル。「市民を子供扱いにすることで、犯罪を助長することになる」から、「この国で、誰か一人でも立ち上がって’自分がやりました’と言うものはいないのか〜」というところ。

ここでシャンバラ役のロレイン・トゥッサンに対して、ジェシー・ジャクスン師とデイビッド・ディンキンズ元市長に対する怒りを告白したといってます。どちらもアフリカ系、リベラル派の政治家ですね。彼の主張は上の「子ども扱い」の台詞と同じ、ディンキンズ市長と会食したときにもそう議論したとしています。リベラルからリバタリアンへ、すっかり変貌しているのがわかります。

録画を見直してみましたが、これを読んだ後ではあまりに生々しくて直視しにくい感じがする。モリアーティがストーンを乗っ取ってしまってるんです。

その次は、スタジオへ向かう車の中でおそらく第二稿の台本を読んでいるところ。「ラストシーンの意図がさらに明らかになっている。私はそれを疑問の余地がないものにしてやるつもりだ」

そして撮影。芝居が芝居でなくなり、自分の状況と重なる。

(p. 93)  この場面でのアダム・シフへの怒りは、ディック・ウルフと、世の無関心な人間どもへの怒りだ。
「無関心とプラグマティズムの違いが分からないのなら、きみはこの仕事に向いていないのかもしれんな」
オリジナルの台本では、これがアダム・シフの最後の台詞だった。
「その通りかもしれません」と答える私。
ここはもっと断固とした台詞になった。

ここの会話、放映されたバージョンではもっと濃かったしテンションが高かった。それに、辞めることを示唆するのはシフからストーンの最後の台詞に移っている。放送当時の記事では訳してる余裕がなくて原文のまま引用してるけど、ちょっとやってみます。

「現実?現実は、誰も立ち上がって’ここまでだ’と線を引こうとしないんだ。’法は法であり、それを犯せば起訴され裁かれる’と誰も言おうとしない」
「そうだ、君一人を除いては」
「アダム、闇が嫌なら、マッチを擦ればいい」
「ふん、それで街全体を火事にするつもりか」
「あなたの望みは?正義なき平和?」
「この街の受けた傷が癒えるまで、私の立場はあいまいにしておくつもりだ。分かるか?」
「ええ。分かります...。病そのものより有害な治療法だ。そんな解決法には...私は加担できない」


最初にこのシーンを見たときはただストーンの退場に涙しただけでしたが、今はやはり演技の後にある怒りとか焦燥感が強く感じられて、寿司屋の場面と同じくいたたまれない気がします。そんな未処理の感情を見せつけられるのは、辛いというより嫌。最後のエピソード(4-22)のサイコホラーの方がまだ演技として受け止められる。

ふむ。今回は妙にネガティブになってしまってますね。面白いもので、ファンの中には、この生のモリアーティが出ているストーンを好む人もいる。そしてモリアーティ自身も、このエピソードを"some of my best work ever" (p. 211) と言っている。確かに人種問題の深刻さをパーソナルなレベルで訴えかけてくる力のある作品です。

それなのに私がいまいち楽しめないのは、演じる人の内面を、もっとコントロールしながら見せてほしいから。しかしそれよりも大きな理由はきっと「入れ込み過ぎ」でしょう(笑)この本で彼のダークサイドを覗きすぎたせいで、画面で見ると洒落にならないのです。シーズン1のエピソードでも見て、癒されてきます・・・