The Voyeur

 
ラチェッド婦長の話で母親と支配、というテーマが出てきたのでこれを取り上げることにします。父親と支配、についてはL&O 1-1「死の処方」や2-21「 沈黙」 で少し触れましたが、こっちはもっと深いというかダークな内容になります。母の日にふさわしく(笑)

The Voyeur (”覗き屋”の意味)は、1997年発表のマイケル・モリアーティの小説作品。"A J.C. Kaminer mystery" と副題がついているところを見ると著者は同じ主人公でシリーズものにするつもりだったようですが、けっきょく続編は出ていません。The Voyeur by Michael Moriarty, Simon & Schuster

語り手はマンハッタンに住む精神分析医のJ.C.カミナー。本人の描写によれば、音楽や絵画にも造詣が深く「ルネサンス人、器用貧乏、スキャッターブレイン」な人物。著者本人とほぼ同じです。カロライナかどこかの出身で南部紳士を自任し、ちょっとずれた騎士道精神を持ち合わせている。ここも、機会さえあれば南部訛りを真似したがる著者とかぶります。

そして自分の性的傾向について、他人の心を覗くことで満足を得る覗き屋だと告白する。彼がもっとも興奮したと語る書物は『アナイス・ニンの日記』です。この本には2バージョンありますが、カミナーが言っているのは無削除版の方だと思われます。


カミナーの患者であるプロバスケットボール選手、チャールズ・メインズは、白人の妻シャーロットとの結婚生活に問題を抱えている。カミナーが夫婦を救おうとしているうち、妻の方が何者かに殺されてしまう。妻殺害の容疑者となったチャールズを救うため、カミナーは事件の真相を追う探偵の役を演じることになる・・・ *1

冒頭には「道に迷わなければ、興味深い場所には辿りつかない」という意味のH.D.ソローの引用があります。ある意味、登場人物はみな道に迷っています。そのうち女性はどれも変わっている上に、おそろしく力強いキャラクターです。

シャーロットは「会った人間すべてを性別に関係なく誘惑する」女性。どんな他人とも、そうやって支配−被支配の関係しか築けない人のようです。彼女の問題の根本には、少女時代の父親との性的関係があります。

シャーロットの母親、ベネディクト夫人。アルコール依存症。夫と娘の関係を知っていて黙っていたらしい。婿であるチャールズを「ニグロ」呼ばわりするレイシスト。カミナーはその発言に衝撃を受けながら、彼女を率直さゆえに評価する。

カミナーの恋人、同じ精神分析医のマリオン・ブロックマンユダヤ系の美人。シャーロットの精神分析を担当していた。

カミナーの母親、マザー・メイ。J.C.を私生児として育てた(つまり、主人公には父親がいない・・・これもポイントです)。息子の私生活にいまだに口を出し、マリオンと結婚させようと画策する。

それに対し、男性の登場人物はみな性格的な弱みを抱えています。チャールズ・メインズはコートで実力を100%発揮することができない。シャーロットの父親、ベネディクト氏は娘との関係において、予想に反して支配される側だったらしい。以前にベネディクト氏の精神分析医だったマーティン・ロッジ医師。ユダヤ系だが、そのことを隠している。患者の近親相姦を知り、みずからもシャーロットと関係していた。

J.C.自身も、マリオンを愛しているのにまともに関わることを避けつづけ、やっと求婚しても不用意なやり方で自分と相手の両方を傷つけてしまいます。

こうやって登場人物のリストをざっと見ただけで、【根源的な力を発揮する女性と、それに抵抗できずなされるがままの男性】という関係があちこちで繰り返されます。シャーロットと、その父親、その夫、ロッジ医師。ベネディクト夫人とベネディクト氏。ベネディクト夫人とカミナー。マザー・メイとカミナーの関係は、それよりは居心地良いものであるけれど、彼はやっぱり50過ぎて母親に逆らえないのです。

カミナーは他の男性キャラクターにはおおむね軽蔑といくらかの敵意をもって関わります。自分も含めてみんな弱い人物だから当然ともいえます。特に、マーティン・ロッジ医師にはテーマが途中で変わってしまうくらいしつこく絡む。ユダヤ人という自分の出自を恥じ、隠していることが一番の原因らしいですが、実在のモデルがいるのかもしれない、という印象を受けました。

テーマは性的虐待に加えて人種差別。Law & Order にも繰り返し出てきた問題です。シャーロットの死にはこの両方が関わっていたことがストーリーの最後にわかる。となれば、上の人物リストだけでも誰が犯人かわかるかもしれません。その人物、ラチェッド婦長も顔負けのメデューサが、三人の男性とひとりの女性を破滅させた──そして二人の生まれていない子供たちも。


後半、焦点は人種差別の方に移っていきます。カミナーは犯人を突き止めたあと、マンハッタンの路上で幻覚を体験する。一方通行を逆走してきた自転車に危うくはねられそうになり、乗り手に襲いかかって残虐に踏み殺すイメージに襲われるのです。そこまでなら、あの街の住人にはよくあることかもしれませんが・・・そのときカミナーが自分の足元を見下ろすと、ジョッパーズに黒いブーツ姿に変身している。親衛隊の制服に身を包み、空気には焼却炉の煙の匂いを嗅ぐ・・・

ここには著者の個人的体験が突然(でもないけど)出てきています。『ホロコースト』の撮影は、ヨーロッパに現存する収容所で、本物の遺体焼却炉を使って行われたそうです。

カミナーは人種差別とは一方通行の逆走を許さない心情、純粋さを追及する愚行であると結論し、そこでなんだか唐突に話は終わります。ベネディクト夫人にひそかに共感し、ロッジ医師をさげすんでいたことは忘れたみたいに。ただ、この二人への態度の違いの鍵はレイシズムではなく「率直さ」のようです。ここも著者本人が顔を出しています。自伝のThe Gift of Stern Angels で、自分の演技について「率直さこそが私の幹で、そこからいろんなものをぶら下げる」と表現しているくらいですから。


というわけで、ミステリーを楽しむというよりは、J.C.を通して著者自身を分析しているような読み方をしてしまう作品でした。いや、それこそが著者がひそかに望んでいることなんじゃないか、とも思えます。「覗き屋」とは私のようなファンのことをいうのかも。。。 
 
 

*1:O.J.シンプソン事件(1994年6月)を思わせる筋立てなのですが、「この原稿は1993年秋に書き上げて出版社に渡してあった」と扉にあります