テレビの暴力 米国テレビドラマ事情

 
きのうの新聞記事より。「現実がテレビの犯罪ドラマを台なしに」というタイトルです。ネットワーク局のFOXでは、1月から新しい犯罪もののドラマが始まったのに、コネティカットの銃乱射事件が世間の記憶に新しいせいでおおっぴらに成功を祝うことができないでいるのだそうな。残酷な事件が起こった時の常で、テレビの暴力表現に世間の批判の目が向いているから。

記事では、この手の論争は50年前から現れては消えしていた、と客観的に見ています。読みながらちょっと期待しました、「その昔、Law & Orderという番組が暴力的と非難され、それに抗議した主演俳優の一人が降板する騒ぎに・・・」などという話が出てくるかと。

が、実際に引き合いに出されたのは『刑事コジャック』でした。1970年代のドラマ、リアルな犯罪の描写が当時としてはショッキングで批判されたらしい。(私は見たことなくて、主役の人のはげ頭がぼんやりとイメージにあるだけ。ちょっと調べたところ、ニューヨークが舞台、リアリティを重視したストーリーと、L&Oに通じるところがあるようです。見てみたいかも。)

現代に話を戻して、『クリミナル・マインド』を含め殺人を扱う番組が多いCBSでは、重役の談話として「悪い奴は捕まって裁かれる」ことで話のバランスはとれているとしている。これも昔から繰り返されている議論です。

問題のFOXの新シリーズ "The Following" は、シリアルキラーが主人公で、彼にインスパイアされた人々が人を殺しまくるというものだそうです。ナイフで自分の目を刺すとか、通行人に火をつけて回るとか、かなり衝撃的な話みたい。

こんな風にネットワーク局でも過激な表現が増えている理由に、ケーブル局との競争があるのだとか。放送免許を持つネットワーク局の放送内容は、一般にケーブル局よりも厳しい目で見られるため、暴力表現にも歯止めがかかる。しかし、ケーブル局HBOの『ソプラノズ』の成功以来、ネットワーク陣営も考えを変える必要に迫られているらしい。

視聴者の数ではケーブルはネットワークの敵ではないと思ってたけど、アメリカではそうでもないようですね。Law & Orderでさえ、NBCだけで放映していたときの知名度はそれほどでもなく、初期シーズンがケーブル局のA&Eで放送され始めてやっと知られるようになったという話もあります。

昨年1年間のケーブル局の高視聴率番組は、『ウォーキング・デッド』、『ハットフィールド&マッコイ』、『トゥルー・ブラッド』、『アメリカン・ホラー・ストーリー』など、どれも暴力表現の比率高し。これくらいの過激さがないと成功できない、というところにきているのだ。

だけど考えてみればここに名前が挙がっている人気ドラマは他の国でも放映されている。そのすべてでコネティカットコロラドのような乱射事件が起こっているわけではない。むしろ、一瞬で二十数人も殺傷できるような銃火器が普通に手に入る状況を考え直すべきなのでは?というのが記事の締めくくりで、私からみれば妥当な(そして穏当な)結論と思われました。

どう思う?とマイケルに聞いてみたい気がします。テレビ番組を取り締まるべきじゃないという点では同意見だけど、銃規制ではたぶん一致しない。AWB法の復活・・・彼は反対なんだろうなきっと。



[追記] たとえこの世に武器というものがなくても、人間は素手で殺し合うだけでしょう。どんなに文明が発達しても暴力はなくならない。だから体格で劣る人が自分を守るために武装するという考え方は分かります。

だけどナイフを持った強盗に立ち向かうなら、拳銃がひとつあればいい。自動小銃は必要ないでしょう。自衛のために自動小銃が必要になる理由は、相手が同じかそれ以上の殺傷力のある武器を持っているという以外にない。つまり軍拡競争なわけ。これ、どこかで歯止めをかけないと、放っておいたらそのうち自分の家に小型核ミサイルを配備しないといけなくなる。国際政治においては冷戦はとっくに終わってるのに、国内ではいまだに軍拡がエスカレートしているなんて、銃をあまりみかけない社会に住んでいる者の目にはやはり奇妙に映ります。