Law & Order 3-21 Manhood  「無情という名の動機」

エピソード3-21 "Manhood" は、ホモセクシュアルの警官がそのために仲間から罠にかけられる話。危険な現場で孤立させられ、応援を求めて叫びながら撃たれてしまう巡査の悲劇を覚えている方も多いと思います。このエピソードは93年のエミー賞ドラマシリーズ部門脚本賞の候補になりました。*1

今週からご紹介している The Gift of Stern Angels に、モリアーティが脚本家ロバート・ネイサンと会って、この脚本が獲ったある賞の授賞式*2 で話したことを教えてもらった、という記述があります。前後関係から見て94年3月か4月と思われます。

なぜこのエピソードが話題になったかというと、そもそもの撮影時に、もとの台本にあった最終弁論をモリアーティが気に入らず、書き直して脚本家に送ったといういきさつがあったらしい。そして脚本家は授賞式のスピーチにおいて、モリアーティ版の台詞をまるごと使ったのは「正しい選択だった」と述べ、満場の喝采を浴びたというのです。

モリアーティはこの話にすっかり感激します。

(p.145)  私は立っていってロバートの両頬にキスした。彼の素直な賞賛だけでなく、その飾りのない正直さに感動したからだ。今、真実を語ることが何よりも重要な時期に、彼がこの話を公に認めてくれたことが私にとってどれほどの意味があることか。私が書いた弁論の出来うんぬんより、こちらの方がずっと価値がある。

彼の反応の素直なこと。脚本家にnaked honesty (裸の正直さ)という言葉を使ってるけど、これって自分自身のことでしょうって言いたくなります。プロデューサーや司法長官とのドン・キホーテのような闘いのさなかで、唯一自分を認めてくれたと思う相手にこれだけの賞賛。藁にもすがる気持ちが痛いほど伝わります。

そして、味方と思った相手をなんの疑いもてらいもなく信じてしまう様子。その子供のような無防備さがどうにも危うくて、誰かこの人を守ってあげて・・・という気持ちになります。

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それでは、この最終弁論ってどんなものだったでしょうか。エピソード3-21を見てみました。弁護側の論点は、警官たちはホモへの恐怖から行動したのだから、酌量されるべきというもの。それに対しストーンは、基本的人権は、偏見があろうとなかろうとすべての人に適用されなければならないと主張します。

弁護側のいうとおり、みながホモへの恐怖を抱いているのだとしましょう。それなら、あなたやあなたの家族を、誰かが憎んでないとどうして言えよう?憎む理由はいくらでもある。黒人、白人、スロバキアチェコプロテスタントカソリック、左翼対右翼。どちらを助けるか、警官に決めさせていいのですか?であれば911に電話するのはやめた方がいい。なぜならあなた自身がニューハウス巡査と同じ立場になるかもしれないからだ。被告たちは人一人を死なせた、だからその責任を取るべきなのです。

非常に説得力あると思います。そして、いつも通り正しいの。正しいんだけどね・・・

もとの脚本の弁論がどんなだったか興味ありますがさすがに不明です。モリアーティはそれを sell out(裏切り)だと切って捨て、上の台詞を書いたらしい。どうやら、こうやって脚本に口を出すこともわりと普通にやっていたようで、良いものでさえあれば採用されるというリベラルな現場だったのかなと思いました。

そうするとますます、ストーンにはモリアーティ自身が反映されていることになります。

しかし評決は無罪。ラストシーンでシフと話すところでは「私の最終弁論が間違っていたのかも」とうじうじする台詞もあります。

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このエピソードで、最終弁論以外に私が気に入っているのが、警官4人組のうち一番若い巡査をストーンが落とす場面です。

Officer Weddeker, look at me. Look at me.
ウェデカー巡査、こっちを見ろ。見るんだ。

巡査、ストーンを見ようとしますがなかなかできません(だって怖いもん)。やっと顔だけ向けたところをすかさず捕まえます。そのときのストーンの顔が邪悪で好き!ちょっと残酷な喜びが浮かんでます。弁護士に邪魔されず思う存分料理できるのをひそかに楽しんでるんでしょうか。

You didn't want to do it. We make a deal, you won't be indicted for felony.
きみが進んでやったことではない。取引をすれば、重罪には問わない。

「重罪」という言葉に目に見えて動揺する巡査。落ちた。と確信するストーン。獲物をしとめた興奮に目を光らせ、核心の質問をはなつ。

Who wrote the memo?
メモを書いたのは誰だ?

だけど巡査が話し始めた次のカットではもう仕事に集中していて、さっき垣間見えた残忍な表情は隠れてしまってます。

こういう微妙なところの演技がたまりません。一方では自分で台詞を書き、もう一方では演技でもって視聴者を自由自在に操る。やっていて面白くてたまらなかっただろうと思うのですが、ではなぜそれを自ら捨てるようなことになったのか・・・ 好きな仕事のためには少しは理不尽なことも我慢しようと思わなかったのか・・・ そんなのは外野の勝手な感想ですが、やっぱり惜しい。もったいなすぎます。





*1 脚本Robert Nathan。1991年のエピソード "Happily Ever After"でエドガー・アラン・ポー賞候補に。このあとERの脚本・プロデューサー、L&Oの副プロデューサーもやっている。

*2 ここ、どの賞の授賞式だったのかはわからない。エミー賞は候補になっただけ。エドガーとか他の賞の可能性もあるけど、IMDbでは見つからなかった。「授賞式でのスピーチ」については何か誤解があるのかもしれない。それでも、あの最終弁論をモリアーティが書いたことと、脚本家が彼との会話でそれを話題にしたことはたぶん本当なのでしょう。